経営学の読書_Vol.3:『いかなる時代環境でも利益を出す仕組み-危機のときに必ず業績が飛躍的に伸びるのはなぜか?』を読んでFP&Aの世界に触れる③

予算に縛られない経営:『脱予算経営』という選択肢

目次

前回までのおさらい

第1回では、アイリスオーヤマの経営手法を「FP&Aの12原則」で分析し、戦略と財務と現場を接続する仕組みの重要性を確認した。第2回では、「対話的統制システム」が、戦略的不確実性への対処と組織学習を促進することを見てきた。

しかし、実はFP&Aの12原則のうち、原則6〜8(アカウンタビリティの原則)には、重大な問題が潜んでいる。これらの原則は、「固定された目標を個人に割り当て、その達成度で評価・報酬を決める」という考え方に基づいている。一見合理的に思えるこのアプローチが、実は組織に深刻な機能不全をもたらす可能性がある。

本稿では、この問題を克服するために提唱された「脱予算経営(Beyond Budgeting)」という経営モデルを解説し、アイリスオーヤマがどのようにその思想を実践しているかを明らかにする。


伝統的な予算管理の5つの弊害

多くの企業では、年度初めに予算を策定し、各部門や個人に目標を割り当て、その達成度で評価する。このプロセスは、一見すると合理的である。しかし、現実には以下のような深刻な問題を引き起こす。

弊害1:時間がかかりすぎる

大企業では、予算編成に3〜6ヶ月を要することも珍しくない。経営企画部門が各部門と交渉を重ね、トップ経営陣の承認を得るまでに、膨大な時間とリソースが消費される。この間、市場環境は変化し続けているにもかかわらず、予算は前年の実績や固定的な前提に基づいて作られる。

弊害2:市場変化に対応できない

年度初めに策定された予算は、その後の市場変化を反映できない。競合が新製品を投入した、為替が急変した、規制が変わった——こうした変化が起きても、予算は簡単には変更できない。その結果、「予算を守ること」が目的化し、「市場機会を捉えること」が後回しになる。

弊害3:政治的な駆け引きを生む

予算編成プロセスは、しばしば政治的な交渉の場となる。各部門は、達成可能な低い目標を設定しようとする一方、経営陣は高い目標を求める。この駆け引きに勝つために、過去の実績を隠したり、情報を歪めたりする誘因が生まれる。

結果として、予算は誰も本気で信じていない「政治的妥協の産物」となる。

弊害4:期末の数字合わせ

固定的な予算目標と報酬を連動させると、期末に向けて「数字合わせ」の誘因が生まれる。

  • 予算未達が見込まれる場合:必要な投資を先送りする、経費を削減する、売上を翌期に繰り延べる
  • 予算超過が見込まれる場合:不要な経費を使い切る、利益を翌期に繰り延べる(来期の目標が上がるのを避けるため)

これらの行動は、短期的には予算達成に貢献するが、長期的には企業価値を毀損する。

弊害5:顧客軽視

予算達成が最優先になると、顧客のニーズよりも「今期の数字」が優先される。例えば:

  • 期末に向けて、顧客が望まない製品を無理に販売する
  • 値引きやキャンペーンを乱発し、ブランド価値を毀損する
  • 長期的な顧客関係よりも、短期的な売上を優先する

脱予算経営(Beyond Budgeting)とは何か?

こうした伝統的な予算管理の弊害を克服するため、ジェレミー・ホープ(Jeremy Hope)とロビン・フレーザー(Robin Fraser)は、2003年に『Beyond Budgeting』という著書を発表した。彼らは、年度予算に依存しない経営モデルを提唱し、それを日本の翻訳者は「脱予算経営」と名付けた。

脱予算経営は、単なる予算の廃止ではない。それは、組織のリーダーシップと管理プロセスを根本から変革するモデルであり、ブャーテ・ボグネス(Bjarte Bogsnes)によって「リーダーシップの6原則」と「プロセスの6原則」として体系化された。


リーダーシップの6原則

原則1:目的(Purpose)

短期的な財務目標ではなく、大胆で崇高な目的(意義・大義)により従業員を鼓舞する。

従来型: 「今期の利益目標は○億円」
脱予算型: 「顧客の生活を豊かにする」「世界一の品質を実現する」

アイリスオーヤマでの実践: 「いかなる時代環境でも利益を出す仕組み」という経営理念は、単なる数値目標ではなく、組織の存在意義を示している。この理念が、環境変化に対応する組織文化を醸成している。

原則2:価値観(Values)

詳細な規則ではなく、共有された価値観や倫理観によって従業員の行動を規律する。

従来型: 厳格なマニュアルと承認フロー
脱予算型: 「顧客第一」「誠実」などの価値観を浸透させる

アイリスオーヤマでの実践: 「ユーザーイン」という価値観は、細かなルールではなく、顧客視点という共有された判断基準を組織に浸透させている。

原則3:透明性(Transparency)

情報を隠蔽・制限するより、自己統制、イノベーション、学習のために情報を公開する。

従来型: 情報は「必要最小限」「Need to Know」で共有
脱予算型: 原則として全員が全情報にアクセス可能

アイリスオーヤマでの実践: 週次の新商品開発会議において、関係者全員が同じ情報を共有する。「ICジャーナル」という情報共有ツールを導入し、あらゆる情報が瞬時に共有され可視化される。

原則4:組織(Organisation)

階層型組織ではなく、アカウント責任を持つチームで組織する。

従来型: ピラミッド型の階層構造
脱予算型: フラットなネットワーク型組織

アイリスオーヤマでの実践: 開発担当者がP/L責任を持つ仕組みは、中央集権的な階層構造を排し、現場に権限を持たせるネットワーク型組織の実現である。

原則5:自律性(Autonomy)

人を信頼し現場の従業員に裁量を与える。上層部による官僚的な承認プロセスや干渉を排除する。

従来型: 重要な意思決定は何段階もの承認が必要
脱予算型: 現場に権限委譲し、迅速な意思決定を可能にする

アイリスオーヤマでの実践: 週次の新商品開発会議でその場で社長決裁が行われる仕組みは、官僚的な承認プロセスを排除し、迅速な意思決定を可能にしている。

原則6:顧客志向(Customers)

社内政治による利害対立を避け、常に顧客のニーズや顧客価値の創造に焦点を当てる。

従来型: 部門間の予算配分を巡る政治的対立
脱予算型: すべての判断基準は「顧客価値」

アイリスオーヤマでの実践: 「買う人(問屋)」ではなく「使う人(ユーザー)」にフォーカスする「ユーザーイン」の思想で「ベンダーメーカー」という独自のポジションを確立、社内事情よりも顧客価値を優先する姿勢を徹底。


プロセスの6原則

原則7:リズム(Rhythm)/ 調整(Coordination)

会計年度ではなく、ビジネスのリズムに合わせてプロセスを動的に調整可能にする。

従来型: すべてが4月〜3月といった会計年度に準拠したサイクル
脱予算型: プロジェクトごと、市場ごとにカスタマイズされた最適なサイクル

アイリスオーヤマでの実践: 週次の新商品開発会議は、年度サイクルではなく、市場の変化に合わせた「ビジネスのリズム」で運営されている。

原則8:目標(Targets)

固定的・上意下達の目標でなく、方向性を示した野心的かつ相対的な目標を設定する。

従来型: 「売上100億円」といった絶対目標
脱予算型: 「業界シェア1位」「競合より高い成長率」という相対目標

アイリスオーヤマでの実践: 「新製品売上比率50%以上」という目標は、絶対的な売上金額ではなく、組織の新陳代謝という相対的な観点から設定されている。

原則9:計画と予測(Plans and Forecasts)

年度ごとに一度だけ策定される固定的な予算ではなく、常に一定期間先を見通すローリング・フォアキャストを採用する。

従来型: 年度初めに年間予算を策定、原則変更なし
脱予算型: 四半期ごとに今後4〜6四半期先を予測(常に未来を見る)

アイリスオーヤマでの実践: 同社は中長期計画を立てない代わりに、予測可能な近距離の未来を徹底的に管理し、実行することを重視する。

原則10:資源配分(Resource Allocation)

詳細な年次予算配分ではなく、必要に応じて動的に資源を配分する。

従来型: 年度初めに部門別予算を配分、期中変更は困難
脱予算型: 市場機会に応じてリアルタイムに資源を再配分

アイリスオーヤマでの実践: 「稼働率7割以下」「内製化」「選択と分散」のルールは、需要急増時に即座に対応できる「瞬発力」を確保するための動的資源配分である。機会損失(チャンスロス)を防ぐために、「見えている無駄(コスト)」を許容する発想は、従来の効率偏重経営とは一線を画す。

これは、原則10の本質を体現している。固定的な予算で「稼働率100%」を目指すのではなく、「稼働率7割」という余裕(スラック)を確保することで、需要急増時に即座に増産できる。短期的には非効率だが、長期的には機会損失を防ぎ、利益を最大化する。

原則11:業績評価(Performance Evaluation)

財務数値のみや報酬のためだけの評価ではなく、全社的な成功や同僚からのフィードバックに基づき、学習と発展のために総合的に評価する。

従来型: 予算達成度で機械的に評価
脱予算型: 360度評価、プロセス評価、学習への貢献も考慮

アイリスオーヤマでの実践: 「ヒットしたら担当者の手柄、失敗したら議長の責任」という姿勢は、挑戦を促進し、失敗からの学習を組織文化として定着させている。

原則12:報酬(Rewards)

固定的な業績契約(予算達成度)に基づく報酬ではなく、競争相手に対する相対的な成功や共有された成果に基づいて報酬を支払う。

従来型: 予算達成率○%でボーナス△円
脱予算型: 競合との比較、事業全体またはチーム全体の成果で評価

アイリスオーヤマでの実践: 開発担当者が3年間の損益責任を持つ仕組みは、単年度の予算達成ではなく、製品ライフサイクル全体での成功を評価する長期的視点を内包している。


脱予算経営の本質:重心の移動

脱予算経営の本質は、「予算を廃止すること」そのものではない。それは、組織統制の重心を移すことである。

従来型の統制:

  • 固定的な数値目標(予算)
  • トップダウンの指示
  • 短期的な財務成果

脱予算型の統制:

  • 目的・価値観
  • 対話と学習
  • 動的なプロセス
  • 長期的な価値創造

この重心移動は、FP&Aの12原則をより効果的に機能させるための補助線的な組織設計・ガバナンス設計として理解できる。


日本企業におけるROE経営の問題点

ここで、日本企業が直面している関連する問題にも触れておきたい。それは、「ROE(自己資本利益率)経営」の功罪である。

2014年、経済産業省のプロジェクトとして、一橋大学の伊藤邦雄教授(当時)を座長として「伊藤レポート」が公表された。このレポートは「ROE8%以上」という数値目標を掲げ、日本企業に資本効率性の意識を根付かせた。

しかし、このROE経営の推進に対しては、次第に批判や懸念が高まってきた。

批判1:短期的な数値操作の横行

ROEを高める最も簡単な方法は、実は分母(自己資本)を減らすことである。つまり、自社株買いを行えば、容易にROEを高められる。実際、多くの日本企業がこの手法に頼り、将来の成長に必要な研究開発費や設備投資、人材への投資を削減してしまった。

これは、予算管理における「期末の数字合わせ」と本質的に同じ問題である。

批判2:成長企業の阻害

将来の成長のために投資を行う企業は、一時的にキャッシュを消費し、資本が増加するため、ROEが低下する。トヨタのような製造業では、工場や設備への多額の投資が必要なため、分母となる自己資本が大きくなり、相対的にROEが低くなりやすい。

日本電産やファーストリテイリングなど、利益が増大し株価も上昇している高成長企業において、ROEが低下した例もある。つまり、ROEを高めることは必ずしも「良い経営」とは限らず、高成長を目指す企業にとっては阻害要因になりうる。

米国企業との対比

米国を代表する企業のROEは30%が一般的な水準である。ところが、ROEを経営目標に掲げている米国企業はほとんどない。企業価値を高めるために、その構成要素であるキャッシュフローの最大化と資本構成の最適化を意識している結果、ROEが高まっているとされる。

一方で、日本の上場企業は、ROEを8%以上にすることが第一義的な目標になっており、肝心の将来キャッシュフローの最大化(売上の拡大や長期利益の確保)に対する努力や意識面での脆弱性が感じられる。

これは、楠木建氏が指摘する「長期利益」、すなわち、「顧客価値の最大化」という商売の基本的原点に改めて立ち返る必要性を、すべての日本企業に示唆するものである。


アイリスオーヤマから学ぶこと

アイリスオーヤマの経営は、脱予算経営の思想を、日本企業として実践している好例である。同社は:

  • 中長期計画を立てない(固定的な予算に縛られない)
  • 稼働率7割という「余裕」を確保(動的資源配分)
  • 「ユーザーイン」という価値観で行動を規律(価値観による統制)
  • 開発担当者にP/L責任を持たせる(自律性の尊重)
  • 週次会議で迅速に意思決定(ビジネスのリズムに合わせる)

これらの実践により、「いかなる時代環境でも利益を出す」という目的を実現している。

重要なのは、同社が「予算を廃止した」から成功したのではなく、「固定的な予算に過度に依存しない経営システム」を構築したから成功したということだ。


他業界への応用:IPビジネスの場合

脱予算経営は、IPビジネスのような不確実性の高い業界にも有効である。この詳細については別記事に譲るが、要点は下記のとおりである。

IPビジネスの特性

  • ヒットの予測が困難
  • 製品ライフサイクルが短い
  • トレンドの変化が激しい
  • クリエイティブな人材の自律性が重要

応用のポイント

目的・価値観: 「世界を笑顔にする」「子供たちに夢を届ける」といったパーパスが、短期利益追求によるIP毀損を防ぐ精神的支柱となる。

動的資源配分: ヒットの予兆が見えた瞬間にリソースを一点集中させる。全社的な予備リザーブを確保し、ブームの波に応じてタイムリーに資金を拠出する。

相対評価: 市場全体が冷え込んでいる中でのシェア維持であれば、売上が下がってもそれは「勝ち」である。相対的視点が、不確実なIP市場での冷静な判断を可能にする。

ローリング・フォーキャスト: 新作ゲームや映画・アニメ・動画等の公開によって需要は激変する。年度予算という「過去の遺物」に固執せず、市場の波に合わせて供給量をリアルタイムに調整する。


まとめ:予算からの解放

伝統的な予算管理は、安定した環境では機能するが、VUCA時代においては機能不全を引き起こす。固定的な目標、政治的な駆け引き、期末の数字合わせ、顧客軽視——これらの弊害は、予算制度そのものに内在している。

脱予算経営は、これらの問題を克服するための一つの解である。それは、予算を廃止することではなく、組織統制の重心を「固定的な数値目標」から「目的・価値観・対話・動的プロセス」へと移すことである。

アイリスオーヤマは、この思想を実践し、「いかなる時代環境でも利益を出す仕組み」を構築した。同社の成功は、脱予算経営が単なる理想論ではなく、実現可能であることを示している。

次回(最終回)では、ここまで見てきた3つの理論的枠組み——FP&Aの12原則、対話的統制システム、脱予算経営——がどのように統合され、「未来志向の経営管理システム」を形成するのかを解説する。


【次回予告】
第4回(最終回)「3つの理論を統合する:未来志向の経営管理システム設計」


参考文献

  • Hope, J., & Fraser, R. (2003). Beyond Budgeting: How Managers Can Break Free from the Annual Performance Trap. Harvard Business School Press.(清水孝監訳『脱予算経営』生産性出版, 2005年)
  • Bogsnes, B. (2009). Implementing Beyond Budgeting: Unlocking the Performance Potential. Wiley.(清水孝監訳『脱予算経営への挑戦』生産性出版, 2010年)
  • 大山健太郎 (2024)『いかなる時代環境でも利益を出す仕組み』(文庫版)日経BP社

【連載】アイリスオーヤマに学ぶ次世代経営管理
第1回:なぜアイリスオーヤマは「いかなる時代環境でも利益を出せる」のか?
第2回:週次会議が生む競争力:対話的統制システムという武器
第3回:予算に縛られない経営:脱予算経営という選択肢(本稿)
第4回:3つの理論を統合する:未来志向の経営管理システム設計(次回・最終回)

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この記事を書いた人

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